谷中 松寿司

前にも書きましたが
死んだ爺さんが言っていた
「男は蕎麦屋と寿司屋の行き付けは持っておくもんだ」と

寿司屋へ夜に入るのはこの歳になってもびびりますねえ。
酒飲みなので居酒屋とか割烹料理屋、蕎麦屋には入るが
寿司屋では飲まないからねえ~
寿司屋=「高い」と思い込み
とは言っても蕎麦屋とか居酒屋で飲んでもそれなりの料金を払うのだから
これはひとえに貧乏育ちの偏見なのである。



もう一つ寿司屋になかなか通わないのは幼き頃
家の前に寿司屋がありそこは友達の家だった
遊びに行くと友達の爺さんがちらし寿司を食わせてくれた
とても家族的な雰囲気の寿司屋であった
故にそのような寿司屋が理想なのだが
なかなか見つからないで谷中最古の寿司屋「松寿司」
とうとう見つけたねえ いい寿司屋だねえ
店内は小綺麗で三代目と女将さんのお二人
相方と二人で刺身と握りを注文して冷酒で「キューッ」と飲る
幸せでございます 寿司屋のカウンターでこんな事が出来るなんて
大人になったのだ私は・・・と考え深くもう一杯
話が弾み 三代目から名刺をいただいた
名刺にはフードコーディネーター&料理研究家&寿司職人とあったが
江戸っ子で寿司屋の三代目なので
名刺にもう一つ「若旦那」と書き込んでもらいたいものだ
たぶんモテるぞ

松寿司
東京都台東区谷中3-2-7
03-3821-5087

男の行きつけ

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私の爺さんの遺言は
「男なら行きつけの寿司屋と蕎麦屋と天ぷら屋は決めとおけ」である
寿司屋は決まっている
蕎麦屋も決まっている
天ぷら屋が決まっていない
「画龍点睛を欠く」のである
大人の男としての嗜みでもある

が!しかし身近にあった!
それが西片の「天ぷら屋 まるやま」

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飲み友達で「丸じい(通称)」が居たじゃないか!
飲んでるときに仕事の話なんてみんな無粋な真似しないから
近所の飲んべえの認識でいたが
「天ぷら屋」のご主人だったのを思い出したのである
そう言えば谷中墓地で花見をしたときにこさえてきてくれたいなり寿司が妙に旨かった
一芸は百芸に通ずる・・・旨いに違いない 行ってみよう!

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月曜日に友人と行ってみた 旨い 幾らでも腹に入る
水曜日にお任せコースを二人分予約する ここでデート
木曜日に接待でまたおまかせコースを予約する ここで商談
先週は正に天ぷらウィーク

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突き出しはおぼろ豆腐、続いて鮪の刺身(これが寿司屋より旨い、寝かせてますな)
鱚、マゴチ、海老、穴子、谷中ショウガ・・・etc  幸せだねえ
これで寿司屋・蕎麦屋・天ぷら屋がそろい踏みして
私はここに「大人の男」として完成をみたのである

天扶良まるやま
〒113-0024 東京都文京区西片2丁目21−4
03-5684-5188
営業時間12:00~14:30/18:00~21:30
定休日日曜日

藪蕎麦


蕎麦屋でもとりわけ有名なのは藪御三家
特に神田藪蕎麦は江戸ソバリエの受講生が訪れる店のno1である
元々は千駄木の団子坂「蔦屋」が本家
蔦屋の3代目が相場で失敗して「仲砂」の4代目堀田七兵衛が蔦屋の神田連雀町の
支店を譲り受けたのが神田藪蕎麦のはじまり
その後 神田藪蕎麦から 並木藪蕎麦 池之端藪蕎麦 と続く
並木藪から 上野藪蕎麦 浜町藪蕎麦 などが出てくる
神田藪蕎麦が中心として「薮睦会」と言う暖簾会ができる



が!千駄木の団子坂「蔦屋」の直系は何も神田藪蕎麦だけではない
「蔦屋」から独立した店が他にも2件あったのです
一つは本駒込にある「藪蔦」
藪蕎麦と呼ばれた「蔦屋」から出たから「藪蔦」
分かりやすい!
もう一つは本郷にあるこれまた「藪蔦」
残念な事にここは今営業していません。


本駒込の「藪蔦」へ行ってみる
店の中は昭和時代の定食屋さんみたいだ
せいろをたぐってみると麺は何故か平打ち
汁は藪御三家ほどは塩からくない!比べるとどちらかと言えば甘い
しかし!!慎重に汁を利き酒のように味わうと
出汁はなんと藪御三家と同じ風味がする びっくり!
これは出汁の取り方はほぼ同じで「かえし」が違うのか
と言うことは「藪」の味は「かえし」以上に出汁の取り方に
特長があるのか 謎です

藪蔦 (やぶつた)
東京都文京区本駒込1-4-5
11:30~16:00、17:00~20:00
日曜営業

喜楽のタンメン

渋谷道玄坂にある、老舗のラーメン屋・喜楽。

1F、2F合せて20席余りの店には、いつも順番待ちの行列が出来る。

メニューの中で、おすすめの一品は、タンメンである。

油が控えめで塩味も強過ぎず、まさに良い塩梅。野菜が大切りなのも嬉しい。
一度、ご賞味あれ。

<営業時間、アクセス>

11:30〜20:30、定休日水曜

東京都 渋谷区 道玄坂 2-17-6

江戸城の話(その1)ー江戸城と東京の街

江戸城のお話を、筆者独自の視点から書いてまいります。

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現在の東京の街があるのは、江戸城のお陰だろう。

東京の前進である江戸は、江戸城を中心に発展してきた街である。江戸時代には政治の中心となり、幕藩体制のもと各地の大名の参勤交代により、江戸は100万人の人口を抱えていたとも言われる(ただし、諸説あり)。その江戸の街を継承して、さらに発展させたところに現在の東京の街がある。江戸城が、現在の東京の街を生み出した、と言えそうだ。

その江戸の街が戦火に巻き込まれそうになり、危機に瀕した時代が訪れた。戊辰戦争の時である。鳥羽伏見の戦いの後、前将軍・徳川慶喜は江戸に帰還し、新政府軍は江戸に進軍した。江戸の街を舞台に、新政府軍と旧幕府軍の大激突の展開もあり得た。だが、有名な「江戸城無血開城」により、江戸の街は戦火から救われた。(実際には上野戦争と呼ばれる戦火があり、上野の寛永寺一帯は炎上したが、それはまた別の機会に。)

「江戸城無血開城」が実現した要因として、旧幕府側要人の交渉努力、旧幕府側の戦意の低さ、外国からの干渉、などが言及されることがある。また当時も世界最大級だった大都市・江戸が新政府側が入手できるメリットもあったであろう。しかし、ここでは敢えて「江戸城の存在」を挙げたい。

江戸城というと今の皇居か、と思われるかもしれない。実際には、江戸城は現在の皇居を中心としつつ、もっと広い。神田川は江戸城の北側の外堀をなしている。西の飯田橋、市ヶ谷、四ツ谷、赤坂にも外堀の遺構が確認できる。これらはすべて江戸城を守る堀の痕跡である。現在の「外堀通り」をぐるっと一周とイメージすればが大きくは違わない。江戸城の外郭の総延長は約14キロメートルに及び、秀吉当時の大坂城の総構の外周は約7.8キロメートルである。江戸城の外郭を含めた面積は約2,082ヘクタールに及び、同大阪城は約452ヘクタールであるため、その広さが再認識できる。

江戸城は当時、日本最大の城郭であった。江戸時代の城郭が幕末から明治初期の大砲等の兵器を前にしても一定の有効性を保っていたことは、西南戦争の攻防戦の際、熊本城が薩軍の包囲に耐え抜いたことでも実証されている。

江戸城の強みは巨大な外郭だけではない。東にある隅田川が外郭の一部をなしており、また道三堀から日本橋川に通じるルートがあり、海からの補給路が確保しやすい。北関東や東北からの海路からの補給が続けば相当期間の包囲に耐えられることが想像できる。

また江戸城の防御は、現在の町並みからも想像できる。東京の道路は碁盤の目ではなく、入り組んでいたり曲がっていたりするので、初めての者にはやや分かりにくい。外敵の侵入を防ぐ工夫の痕跡である。

戊辰戦争当時の新政府軍側も、交渉の中で無血開城の妥結点を探る過程で、上記の江戸城の防衛力を充分に計算に入れ、総攻撃時の人的・物的な被害を天秤に乗せた上で判断に及んだのではないだろうか。

結局、江戸城で攻城戦が行われることはなかった。しかし、現在の東京の街の基礎を生み出し、そして戊辰戦争の戦火から守った。江戸城にはそんな横顔がありそうだ。

東京国立博物館

東京国立博物館について、筆者独自の楽しみ方をまとめてみました。

<総合文化展を鑑賞する>

まずは「総合文化展の鑑賞」を挙げたい。総合文化展とは、従来「平常展」と呼称されていたものが2011年より改称されたものである。年間を通して、東京国立博物館の収蔵品及び寄託品のうち、一部が展示されている。原則、毎週月曜日の休館日を利用して、展示品の入れ替えが行われるため、1~2ヶ月に1回のペースで訪れると、また違った展示品に触れ、楽しむことが出来る。

土日でも概ね人は少なく、ゆったりと鑑賞できる。なまじ評判となって人だかりとなった特別展よりも、落ち着いた鑑賞を楽しむことができる。

なお、日本マンガの草分け的存在である京都・高山寺の「鳥獣戯画」なども、現在はこちらに寄託されている。数年に一回、「国宝の間」にて展示される。

<建物を鑑賞する>

多数の国宝、重要文化財が所蔵されている一方で、建物も相当なものである。

本館は昭和13年(1938年)開館。鉄筋コンクリート造ながら和風の瓦葺きである和洋折衷である。中央玄関から2階への階段のショットは「半沢直樹」など、多くのドラマ等で利用されているの。平成13年(2001年)に重要文化財に指定されている。(階段のショットは、人が大勢のためよい写真が取れていないため、後日追加予定)

上記は「表慶館」。大正天皇のご成婚を祝して明治41年(1908年)に完成。現在の東京国立博物館内の建物のうち、もっとも古い建物である。

2015年の特別展の際には建物内部に入ることが出来た。雰囲気のある木造の内装は健在であった。

<庭園を眺める>

写真は、本館1Fのバルコニーから眺めた庭園の様子である。写真中央部には茶室が見える。江戸時代初期の大名茶人・小堀遠州由来の「転合庵(てんごうあん)」である。

東京国立博物館には庭園内に茶室が5つある。いずれも寄付等によって移設されたものである。事前に予約すれば茶室の利用が出来る。特に紅葉のシーズンには混雑するとか。

<あわせて、周辺を散歩する>

東京国立博物館の周辺には、散策にぴったりの施設や風情が満載である。上野恩賜公園内には、上野東照宮、上野動物園を始め、国立西洋美術館、国立科学博物館などの施設も充実。隣には東京藝術大学や寛永寺があり、足を伸ばして都立上野高校や上野桜木を過ぎると、谷根千(谷中・根津・千駄木)もすぐそこである。

<アクセス>

不忍池周辺の散歩道

不忍池とその周辺の光景である。散歩に丁度よいスポットがあるので紹介したい。

<水月ホテル・鴎外荘>

「文豪・森鴎外居住の地」の水月ホテル・鴎外荘。北に向かえば谷根千の街、南に向かえば不忍池・上野恩賜公園へたどり着く。周辺観光の拠点になるだろう。

<精養軒>

不忍池の西側道路から望む「上野精養軒」。明治9年(1976年)、現在の上野恩賜公園内に開業。当時からの本格的なフランス料理の味を楽しむことが出来る。

<弁天堂>

上の写真は、不忍池の中心に立つ弁天堂を上野の山より西側から望んだもの。

上の写真は、不忍池南東方向から蓮池越しに、ライトアップされた弁天堂を望むもの。

弁天堂の建立は寛永2年(1625年)。琵琶湖に浮かぶ竹生島に見立てて建てられた。当初は不忍池内の小島に舟で渡っていたが、後に不忍池西側(写真で屋台の店が並んでいるあたり)に石橋が掛けられた。

2016年夏には、スマホゲーム「PokemonGO」のポケストップが密集し、著名なポケモン発生地帯として、日夜問わず多数のポケモンハンターが集う場になっていた。現在は弁天堂境内でのスマホゲーム使用が禁止され、ポケストップも廃止されている。

<駅伝発祥の地>

弁天堂の西側参道横にある「駅伝発祥の地」の石碑。大正6年(1917年)4月27日、「東海道駅伝徒歩競争」として京都三条大橋〜東京上野間を3日間かけて走った。同大会は、読売新聞社主催で、東京奠都50周年を記念して開催されたものであった。

周辺には「めがね之碑」や「ふぐ供養碑」など、記念碑が数多くある。

<上野恩賜公園・広小路側入口>

 

上野恩賜公園の上野広小路側の入口である。不忍池の弁天堂参道から南に向かうとたどり着く。
ここから上野恩賜公園内に入り、北に向かって寛永寺、東京国立博物館方向へ歩くと、上野の山のゆったりとした坂道の傾斜が確認できる。坂道は、春には桜の名所となり、毎年大勢の人で賑わう。

近隣には京成線上野駅がある。

<東天紅>

不忍池南側から蓮池越しに眺める「東天紅上野本店」。写真は2015年のオープンした新館である。

東天紅は、昭和36年(1961年)に同地で開業した。以来、中国料理をはじめとしたレストラン、婚礼等の宴会を展開している。

<不忍池東側の風景>

不忍池東側より、弁天堂とボート池。ボートには弁天堂東側参道から搭乗可能である。土日にはカップル、家族連れなどで賑わう。季節により営業時間が異なるので、訪れる際には要確認である。

不忍池東側からは、晴れた日には池越しにスカイツリーを眺めることが出来る。

写真のスカイツリーの右側には、2015年3月開業のアパホテル京成上野駅前店が見える。同ホテルが建つ前は、もう少しスカイツリーをよく眺めることが出来たのだが。

<関連記事>

上野恩賜公園〜寛永寺黒門跡

東京メトロ千代田線・根津駅

<アクセス>