歌舞伎町のワインバー おぅ・ばん

「演歌の殿堂」と言われた歌舞伎町のコマ劇の跡地には、2015年に「新宿東宝ビル」が建てられた。3階から6階には「TOHOシネマズ新宿」が、9階から31階に「ホテルグレイスリー新宿」が入居しており、新たな人通りが生まれている。

ワインバー「おぅ・ばん」は、この旧コマ劇前のビルにある。

個人客中心のカウンター席である。厨房に隣接しており、ワインを飲みながら、シェフ兼オーナーの調理中の肉の焼き音が聞こえる。写真右のカウンターの上にあって、カウンター客を見つめる警察官の陶器は、何ともキュートである。

当店は「ブルゴーニュワイン」を中心に用意されている。

ブルゴーニュは、ボルドーと並ぶフランス、のみならず、世界のワイン2大生産地である。ピノ・ノワール、ガメイなど、限定されたブドウ品種のみ使用される。ボルドーよりも零細な醸造家が多いと言われている。

ピノ・ノワールで作られるワインは、ボルドーなどのカベルネ・ソーヴィニオンで作られるワインと比べて、タンニン分が少なく、比較的軽口な味わいが多い。ブドウが畑の影響を受けやすいと言われ、飲む毎に、異なった表情のワインを楽しむことが出来るかもしれない。



この店の一番のお薦めは、何と言っても、その日に仕入れた食材をもとに、シェフがその日の「お客とワインに合わせた料理」を作ることだ。

ワインをグラスで3杯飲み、料理を3皿くらい提供されて、概ね5,000円〜のお勘定である。

こちらは、鹿肉を、ネギとナスなどの野菜と炒めた料理。「おつまみ的に食べたい」という、筆者のリクエストに応えて、調理してくれたものである。鹿肉もさることながら、筆者は鹿肉の油と香りが染み込んだネギの味わいが印象的だった。ここでは、とにかく野菜を美味しく食べることが出来る。

鴨肉のロースト。当店の代表的な一皿である。何杯かワインを飲み終えたあとの、メインディッシュとして出されたものだ。ここで出される鴨肉は、特に赤ワインとの相性がよいように感じた。鴨肉が入荷されている際には、一度お試しされることをお薦めする。

窓際のテーブル席である。10月から11月にかけてのこの季節は、暑すぎず寒すぎず丁度心地よい。写真の日も秋雨だったが、気持ちが良かった。

窓からは、「新宿東宝ビル」を見ることができる。ビルの向こうから見えるのは、「ゴジラ」である。映画「シン・ゴジラ」上映に際して、靖国通りから旧コマ劇前に至る道路は「ゴジラロード」と名付けられた。日本一の繁華街にふさわしく、今日も大勢の人で賑わう。

平日は遅くまで営業している。歌舞伎町の飲み帰りに立ち寄るのもよし、場合によっては映画のレイトショーを観た後で始発まで店でゆっくりするのも、面白いかもしれない。

<営業時間、アクセス>

月~金…19:00~翌5:00
土…17:00~24:00(お客様がいらしたらいなくなるまで営業)
※注 毎週土曜日は乳幼児、お子様もOK、20時頃まで禁煙
日…休み

東京都新宿区歌舞伎町1-14-6 第21東京ビル9F

野田のしょうゆ工場

しょうゆ、さらに限定すると、現在の醤油生産量の8割を占める「こいくちしょうゆ」は、江戸と、江戸周辺に集積される物資から誕生した。江戸時代後期に至って、「こいくちしょうゆ」は、江戸の食生活の中で基本的な調味料となり、寿司、天ぷら、そば、うなぎなど、代表的とされる日本料理を確立させた。

日本のしょうゆ生産の4割近くは千葉県で行われている。千葉県の有名なしょうゆ生産拠点は、野田と銚子である。両者に共通するのは、「物流の要衝」であることである。

キッコーマン野田工場は、千葉県内の東武鉄道・東武アーバンパークライン(以前の東武野田線)野田市駅より徒歩3分のところにある。

駅を降りると、至近距離にある、しょうゆ工場から、炊いた大豆の香りが漂う。工場に入ると、工場特有のオイル臭が大豆の香りに混じり合う。

しょうゆは、極めてシンプルな原材料から生産される。大豆、小麦、塩の基本的な原材料に対して、種麹(たねこうじ)を入れて発酵させる。職人の手によって作られていた江戸時代から、オートメーション化され大規模生産されるようになった現在に至るまで、基本的な生産工程は変わらない。

おおまかな生産工程は以下の通りである。

①蒸した大豆と、炒って細かく砕いた小麦に、種麹を混入し、温度と湿度を調整された製麹室(せいきくしつ)で3日間かけ「しょうゆ麹」を作る。「こいくちしょうゆ」は、大豆と小麦は1:1の割合で配合される。


②「しょうゆ麹」と食塩水を混ぜ「もろみ」を作り、もろみを仕込タンクで数ヶ月間発酵、熟成させる。
③熟成させたもろみを布にくるんで、圧力をかけることで、「生しょうゆ」を濾過する。
④「生しょうゆ」を3〜4日間かけて不純物を分離した後、火入れを行い、酵素の働きを止める。



野田の地のしょうゆ生産が発展したのは、江戸時代の水運である。江戸時代、野田には河岸と呼ばれる商業集落が作られていた。いわゆる利根川東遷工事の中で、現在の利根川及び江戸川の原型が整備される中で、これら河川は太平洋岸から江戸に至る水運を担うことになった。また河岸各地や街道で繋がる各地の年貢米や特産品などの物資を集積、流通させる拠点として河岸が成立したのである。

野田の地は、しょうゆの原材料である、大豆、小麦、塩を集積させる立地に恵まれていた。大豆は常陸から、小麦は下総から、塩は行徳から、それぞれ集められた。生産量が増えるにつれ、これら以外の各地からも集積されていく。同時に、大消費地である江戸へのアクセスにも恵まれていた。やがて、野田のしょうゆは、ブランドとして確立されていく。

しょうゆは、江戸の街を成立させた基盤である、物資の流通と集積のシステムが生み出した調味料と言える。そして、しょうゆは江戸のみならず、日本の料理の確立に大きく寄与をしていった。我々が毎日食べている食事も、間違いなく、江戸の先人たちの行動、なりわいの上に成り立っていることを感じさせてくれるのである。

根津と池之端の境界にて

文京区根津は、江戸時代に根津神社の門前町として栄えた。根津の名前の由来は、神社説と地形説がある。

根津は、西に本郷台地、東に藍染川、南に不忍池に囲まれた土地だった。

こちらは現在の根津の南端である。写真左側のマンション(旧弥生会館跡地)は根津側であり、写真右側は「上野グリーンクラブ(日本盆栽共同組合)」は池之端側である。江戸時代には池之端側は埋め立てられる前の不忍池の一部であった。ここから南側(写真左方向)には上野動物園・西園があるが、いずれも明治時代に埋め立てられた土地である。

根津の南端は、不忍池に面してお玉ヶ池、隅田川を経由して江戸湊まで水路でつながっており、「波止場」の時代があったと想像される。根津地名の地形説は、ここから来ている。なお、江戸時代後期に入り、お玉ヶ池は埋め立てられ消滅している。

根津、池之端を画する境界は、「藍染川」のあった道である。藍染川は、元々は石神井川の本流と言われ、不忍池に注いでいた。1964年の東京オリンピックを前に完全に暗渠となった。



以下は、現在の文京区・根津2丁目の地図である。根津の南端と不忍池の位置関係を見て、当時の状況を想像されたし。

根津南端の根津/池之端境界付近で、藍染川暗渠のある場所である。左側が根津、右側が池之端である。この写真の真後ろへ藍染川が続き、不忍池へと注いでいたのである。

幕末頃の付近の古地図によれば、藍染川を挟んで根津と池之端にまたがって秋元但馬守の広大な下屋敷があったことが分かる。旧弥生会館跡に建つマンション(根津側)と水月ホテル鴎外荘(池之端側)を含めて、いずれも秋元但馬守の下屋敷であったのだ。

秋元但馬守として特に有名なのは、元禄12年(1699年)から正徳4年(1714年)にかけて老中を務めた秋元喬知(たかとも)である。戸田家より養子に入り、母方の祖父である秋元家を継いだ。正徳元年(1711年)には、甲斐国・谷村藩1万8千石から川越藩5万石へ転封になっている。川越藩の前藩主は柳沢吉保であり、またかの知恵伊豆こと松平信綱など老中など幕府要職に就くお歴々が治めている。川越藩主は、佐倉藩主に次いで老中就任者が多く、川越藩への転封は栄転と言えるだろう。

秋元喬知の事績として、元禄大地震の復興への尽力を含めた土木工事対応があるが、トピックスとして語り継がれるのは、宝永4年(1707年)の八瀬童子と天台座主・公弁法親王の争いに下した裁定である。これは比叡山延暦寺領への入会権を巡る争いであった。

秋元喬知は本件で八瀬童子の旧来からの権益を実質的に確保したことで感謝された。八瀬郷は京都の八瀬天満宮の摂社として「秋元神社」を建立し、秋元喬知本人を祭神として祀っている。毎年10月には「八瀬赦免地踊り(無形文化財指定)」が奉納されている。

なお近隣には、上述した松平伊豆守の屋敷跡地も存在する。それはまた別の機会に。

以下、「藍染川」の跡を少し先へ進んでみる。

先ほどから少し進んだところである。細い道が続いている。

この先を進むと根津側(左側)にかの有名なうどん屋「釜竹」がある。池之端側には中華料理店「BIKA」がある。やがて言問通りにたどり着く。

釜竹のうどん。いつ食べても美味しい。

元々「藍染川」であった道のため、この先も延々と続いている。言問通りに出る辺りからは、根津・谷中の境界と変わり、藍染大通りとの交差点を過ぎ、いわゆる「へび道」付近からは千駄木・谷中の境界と変わっていく。

以上で見てきた「藍染川」だが、現在の路地の幅そのままでないにしても、当時の川幅は狭かったのではないだろうか。道も傾斜はほとんど感じられず、むしろ平坦である。不忍池には、雨天時には上野の山からも雨水が流れてくるため、逆流することもあったようである。

そこで、現在で言う「言問通り」辺りから、藍染川の迂回路が作られた。「五人堀」と呼ばれた。根津交差点(言問通りと不忍通り)から南下し、串揚げや「はん亭」付近で路地に入り、不忍池へ注いでいた。

老舗串揚げ屋・はん亭はこちら。

付近のお薦めスポットを少し紹介。

根津と池之端の境界、池之端側の公園に、旧都電の車両が設置されている。東京メトロ千代田線が開通するまでは、不忍通り沿いには都電が走っていた。

 

2017年5月オープンした、NC(ナチュラルカレーレストラン)。根津の南の端にある。

こちらメニュー。健康によい食材が満載である。

筆者お気に入りの、キーマカレー、1,000円。玄米がなんとも嬉しいです。

<NC営業時間、アクセス>

営業時間:11:30~19:00 (水曜日のみ11:30~15:00)

定休日:日曜日

 

 

旧谷中清水町〜松平伊豆守下屋敷の跡地

100円で乗ることができる台東区循環バス「めぐりん」は重宝する。「めぐりん」のうち、「東西めぐりん」は浅草から谷中まで台東区内を東西に走っているが、浅草から上野公園を過ぎると「谷中清水町公園」というバス停にたどり着く。

バス停近くには、台東区の谷中一丁目と池之端四丁目にまたがる「谷中清水町公園」があり、旧谷中清水町に関する町名由来の案内が記載されている。昭和42年(1967年)の住居表示変更より前は、池之端四丁目と三丁目は、「谷中清水町」であった。その経緯もあり、現在も日暮里の「諏方神社」の氏子町である。

旧谷中清水町の町名の由来は、護国院の清水門があったためである。護国院は、寛永寺の最初の子院であり、谷中七福神の1つである大黒天が祀られている。清水門の由来は、清水が湧いていたからとのことである。清水が湧きそうな上野の山の傾斜地「清水坂」があり、往時が想像される。



「谷中清水町」の場所は、江戸時代には、かの松平伊豆守こと松平信綱の下屋敷であった。さすがに加賀前田家上屋敷などには及ばないものの、広大な敷地を占めている。

松平信綱は、三代将軍家光及び四代将軍家綱の時代に老中を務めており、幕藩体制の確立に尽力した。明暦3年(1657年)の、いわゆる明暦大火の際にも事後収拾の対応を行った。文京区大部分の江戸市街化は、明暦の大火の後と言われるので、松平信綱自身も、一帯の整備開発に貢献したことと思われる。

地図は池之端四丁目を指している。松平伊豆守の下屋敷を思させる遺構自体は残されておらず、現在は住宅街となっている。しかし、周辺を散歩すると、土地の歴史について思い至ることがあった。

池之端四丁目の中央部分は、根津方面から上野の山の裏手の東京芸大方面へ抜ける際の最短ルートとなる。最短ルートであるのは、距離だけではなく、坂道が緩やかなのである。途中の坂道は「三段坂」と呼ばれる坂があり、その名の通り緩やかな段が3段付いている。池之端四丁目の住宅地を散歩すると実感できるが、言問通り沿いの善光寺坂や、上野の山沿いの清水坂(上記地図だと池之端四丁目の南東角辺り)と比べると、坂が緩やかで、移動が快適に感じられる。

現代に残る坂道は、台地の斜面近くに人が住むだけで出来上がったものではない。人が往来が集積していく中で、人の通行をより容易ならしめるため、傾斜路をなだらかする土木工事などの改良が加えられ、積み重ねられることで、初めて人が快適に通行するのに適した「坂道」が出来上がる。

「三段坂」の名称が付いたのは戦後、三段の坂が作られたのは明治20年代であるとのことだが、松平伊豆守の屋敷地として概ね江戸時代を通して使われたことで、人の通行にやさしい坂道である、「三段坂」のベースが形作られていったのではないだろうか。

 

以下、近隣の紹介を少し。

池之端四丁目南方の路地にあるホテルグラフィ根津。外国人宿泊客にも人気である。1Fに宿泊者に限らず利用できるカフェ/バーがある。

 

 

根津との境界である旧「藍染川」沿いには、老舗の中華料理店「BIKA」がある。谷根千散策の後で立ち寄られてはいかがだろうか。

名物のニラそば。900円

エビシュウマイ。600円。

アクセスは以下の通り。

 

上野精養軒のダブルコンソメスープ

本格フレンチレストランの名店・上野精養軒は、上野恩賜公園の中にある。

開業は明治5年(1872年)で、上野の地に開店したのは明治9年(1876年)、上野恩賜公園の開設時だった。

時代はいわゆる「鹿鳴館時代」で、明治政府は先進的であるとされた西欧文化を取り入れることで、日本を近代国家をたらしめんとしていた。上野精養軒は、そんな時代の空気の中で、日本に西欧料理を根付かせる役割を担ってきた老舗であり、当時からの伝統を引き継いでいる料理を現在も提供している。

ロビーのバルコニーからの眺めである。晴天に不忍池、弁天堂が映え、食事前の「オードブル」として心地よく心を弾ませてくれる。

上野精養軒の中でも、特に秀逸な一皿をご紹介したい。グリルフクシマで出される「ダブルコンソメスープ」である。

最初は、「おや、コースの途中に、突然紅茶なのか?」と感じたが。。。

コンソメとは、大手食品メーカーの「コンソメスープの素」や、菓子類の「コンソメ味」が一般に浸透しているせいで、ありふれたスープである印象が広まっている感がある。元々はフランス語で「完成された(consomme)」という意味である。通常は、肉類、魚類からとった出汁により、脂肪分が少ない肉類や野菜を煮立てて作られる。また澄んだ琥珀色の色合いを保つように、適宜アク取りを行う必要がある。

ダブルコンソメスープとは、コンソメスープの出汁をとる工程を2回かけ、作られる、非常に手間暇をかけた料理である。

飽食の時代である。多くの料理がそこそこ美味しく、そこそこ食べることができるように作られ、提供される。筆者は料理の専門家ではないが、深い印象が残り、感動を覚える味とは、味覚の中で普段使われていない神経が覚醒し、にわかに知覚と感覚により捉えている外界が拡がる、そんな体験をさせてくれる味だと考えている。

このダブルコンソメスープは、コース料理の場合、前半に出されるものである。食することで大いに自身を活性化してくれるが、具材が入っているわけではないため、決して満腹にはならない。むしろ食することで、以後の料理を「活性化された」状態となり味わうことができる。コース料理としてはしばしば耳にすることとはいえ、改めてコース料理の意味を鮮烈に「味わう」ことができた。

椀盛は「日本料理の華」と言われる。同様に、コンソメスープは「フランス料理の真髄」と呼ばれる。そのことを改めて心に刻んでくれる一品であった。

<アクセス>

 

根津の居酒屋・すみれ


根津の不忍通りから、観音通りと呼ばれる道に少し入った先に、間も無く開業50年となる居酒屋がある。

「居酒屋・すみれ」には、今日も大勢の人間が集う。午後6時の開店時間にはカウンター10席が満員になることもよく見かける。

店内に入ると、そこには「古き良き昭和の居酒屋」の世界が待っている。女将と若女将のちょっとした会話や心遣いが、心温まるひとときを過ごさせてくれる。


特に2012年3月14日に東京テレビ系列のテレビドラマ「孤独のグルメ」で放映されてからは(Season1第11話「文京区根津 飲み屋さんの特辛カレー」)、番組を見たり、追随したブログ等に掲載されることも増え、都内だけでなく全国から訪ねてくる客が後を絶たない。

なお、席数は10席と少ない。基本的に2人まで、多くても3人までの来店がおすすめである。

<メニュー構成>

店内入口近くのカウンター前には、夏季は生ビールサーバが置かれる。オフシーズンには、おでん又は鳥煮込みのズンドウが置かれる。決して広いとは言えない店内スペースが有効活用されている。


その日の食材の仕入れ具合を見て、開店前に、女将がメニューを黒板にチョークで記入する。概ね、右から「本日のスペシャルメニュー」、お新香、すじこ醤油漬け、チーズ盛り合わせなどの「おつまみ系」、豚生姜焼き、豚キムチ焼きなどの「肉料理」、イワシ、マグロなどの「刺身」、鮭やニシンなどの「焼き魚」、カレーライス、お茶漬けなどの「ご飯もの」の順で並んでいる。


やはり定番は、独自のスパイス配合を加えたカレーライスであろう。特に飲んだ後の一皿には、内臓や体中の毛穴を活性化してくれるような刺激を体感できる。大きめに切られたジャガイモ、ニンジンが「日本の家庭のカレー」の暖かさを感じさせてくれる。

その他、土曜・日曜・月曜限定で提供される香り豊かな「手ごねハンバーグ」や、時々出されるアジフライなどの揚げ物系の料理も人気であり、品切れ頻度がとても高い。

<有線放送>


テレビの音量はそこそこに抑えられ、店内は有線放送のミュージックが流されている。1970年代、80年代中心の懐メロ歌謡曲が、店の内装ともマッチして、まさに「昭和」の雰囲気を楽しむことが出来る。

<営業時間・住所>

18:00~25:00
定休日:火曜日、水曜日

東京都 文京区 根津 2-24-8

蕎麦・寿司・天ぷらの次は「鰻」


蕎麦・寿司・天ぷらの話を書いたので 次はやはり「鰻」
鰻もここらへんは結構多いな〜
永井荷風は「幸せとは?」と聞かれ
散歩に行くときに財布に鰻と少々の酒を呑む銭があるのが幸せの基準だと言っていたらしい



気になるお店は数あれど 良く行くのは 千駄木の「山ぎし」
自分 鰻って何か進んで食べないんだよねえ 一年に3回くらいか?
だんだん体力も気力も無くなってくる歳なので1ヶ月に一回くらいは食したいものである

鰻は川魚だから 泥鰌もあれば当然 鯉もある
鯰も置いている店もある
今回は「鰻」を食べるのはもちろんの事 「鯉の洗い」が目当て
先日出張で長野のブランド鯉「佐久の鯉」を食べる予定が狂い出張に行けなかったので
頭の中は「鯉の洗い」で一杯なのです
新鮮で臭みのない「鯉の洗い」は醤油とわさびでいただける
ここの「鯉の洗い」もブラボーなお味 旨い!日本酒に合う!
さすが魚の中では「鯉」だけは別格で海魚より上と言われるだけある
昔は祝いの魚は「鯛」ではなく「鯉」だったと聞いたことがある
「鯉の洗い」が旨かったので次は「鯉の洗いのカルパッチョ」も注文!
満足でげす

「山ぎし」さんは飲み屋で使えるメニュー構成 値段もお安い
しかしなんと言っても美味しい!
小銭が貯まったらまた食べに行こう〜っと

鰻の山ぎし
東京都台東区谷中3丁目139
03-3827-5763
営業11時00分~14時00分, 17時00分~20時00分
定休日火曜日

谷中 松寿司

前にも書きましたが
死んだ爺さんが言っていた
「男は蕎麦屋と寿司屋の行き付けは持っておくもんだ」と

寿司屋へ夜に入るのはこの歳になってもびびりますねえ。
酒飲みなので居酒屋とか割烹料理屋、蕎麦屋には入るが
寿司屋では飲まないからねえ~
寿司屋=「高い」と思い込み
とは言っても蕎麦屋とか居酒屋で飲んでもそれなりの料金を払うのだから
これはひとえに貧乏育ちの偏見なのである。



もう一つ寿司屋になかなか通わないのは幼き頃
家の前に寿司屋がありそこは友達の家だった
遊びに行くと友達の爺さんがちらし寿司を食わせてくれた
とても家族的な雰囲気の寿司屋であった
故にそのような寿司屋が理想なのだが
なかなか見つからないで谷中最古の寿司屋「松寿司」
とうとう見つけたねえ いい寿司屋だねえ
店内は小綺麗で三代目と女将さんのお二人
相方と二人で刺身と握りを注文して冷酒で「キューッ」と飲る
幸せでございます 寿司屋のカウンターでこんな事が出来るなんて
大人になったのだ私は・・・と考え深くもう一杯
話が弾み 三代目から名刺をいただいた
名刺にはフードコーディネーター&料理研究家&寿司職人とあったが
江戸っ子で寿司屋の三代目なので
名刺にもう一つ「若旦那」と書き込んでもらいたいものだ
たぶんモテるぞ

松寿司
東京都台東区谷中3-2-7
03-3821-5087

男の行きつけ

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

私の爺さんの遺言は
「男なら行きつけの寿司屋と蕎麦屋と天ぷら屋は決めとおけ」である
寿司屋は決まっている
蕎麦屋も決まっている
天ぷら屋が決まっていない
「画龍点睛を欠く」のである
大人の男としての嗜みでもある

が!しかし身近にあった!
それが西片の「天ぷら屋 まるやま」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

飲み友達で「丸じい(通称)」が居たじゃないか!
飲んでるときに仕事の話なんてみんな無粋な真似しないから
近所の飲んべえの認識でいたが
「天ぷら屋」のご主人だったのを思い出したのである
そう言えば谷中墓地で花見をしたときにこさえてきてくれたいなり寿司が妙に旨かった
一芸は百芸に通ずる・・・旨いに違いない 行ってみよう!

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

月曜日に友人と行ってみた 旨い 幾らでも腹に入る
水曜日にお任せコースを二人分予約する ここでデート
木曜日に接待でまたおまかせコースを予約する ここで商談
先週は正に天ぷらウィーク

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

突き出しはおぼろ豆腐、続いて鮪の刺身(これが寿司屋より旨い、寝かせてますな)
鱚、マゴチ、海老、穴子、谷中ショウガ・・・etc  幸せだねえ
これで寿司屋・蕎麦屋・天ぷら屋がそろい踏みして
私はここに「大人の男」として完成をみたのである

天扶良まるやま
〒113-0024 東京都文京区西片2丁目21−4
03-5684-5188
営業時間12:00~14:30/18:00~21:30
定休日日曜日

藪蕎麦


蕎麦屋でもとりわけ有名なのは藪御三家
特に神田藪蕎麦は江戸ソバリエの受講生が訪れる店のno1である
元々は千駄木の団子坂「蔦屋」が本家
蔦屋の3代目が相場で失敗して「仲砂」の4代目堀田七兵衛が蔦屋の神田連雀町の
支店を譲り受けたのが神田藪蕎麦のはじまり
その後 神田藪蕎麦から 並木藪蕎麦 池之端藪蕎麦 と続く
並木藪から 上野藪蕎麦 浜町藪蕎麦 などが出てくる
神田藪蕎麦が中心として「薮睦会」と言う暖簾会ができる



が!千駄木の団子坂「蔦屋」の直系は何も神田藪蕎麦だけではない
「蔦屋」から独立した店が他にも2件あったのです
一つは本駒込にある「藪蔦」
藪蕎麦と呼ばれた「蔦屋」から出たから「藪蔦」
分かりやすい!
もう一つは本郷にあるこれまた「藪蔦」
残念な事にここは今営業していません。


本駒込の「藪蔦」へ行ってみる
店の中は昭和時代の定食屋さんみたいだ
せいろをたぐってみると麺は何故か平打ち
汁は藪御三家ほどは塩からくない!比べるとどちらかと言えば甘い
しかし!!慎重に汁を利き酒のように味わうと
出汁はなんと藪御三家と同じ風味がする びっくり!
これは出汁の取り方はほぼ同じで「かえし」が違うのか
と言うことは「藪」の味は「かえし」以上に出汁の取り方に
特長があるのか 謎です

藪蔦 (やぶつた)
東京都文京区本駒込1-4-5
11:30~16:00、17:00~20:00
日曜営業