根津と根津神社

<明暦の大火>

根津神社は、不忍通りから少し西向きに入った路地を進んだ、住宅街の先にある。表参道鳥居横にある「根津神社」とある神社名石碑は、内務大臣や農商務大臣を歴任した、平田東助が揮毫したもの。

根津の街が本格的に形作られてきたのは、明暦の大火の後である。それまでは、神田川以北では上野寛永寺周辺と湯島本郷の一部だけが市街化されており、あとは農村が広がっていた。

明暦の大火とは、明暦3年(1657年)に当時の江戸の街を襲った大火事である。本郷方面から出た火の手が江戸城を含めた江戸の街に広がり、江戸時代通じて最大の大火事となった。この大火をきっかけに防火対策として、隅田川に千住大橋以外の橋が架けられ、火除け地が設けられ今に残る「広小路」の名が生まれ、飛び火を抑えるため、吹上にあった御三家の屋敷を移転させるなどが行われた。

根津の街は、上記の江戸市街地拡大に伴い、武家地が移転されてきて本格化した。

<根津神社>

根津神社は、1900年前に大和武尊が現在の千駄木の地に創祀したとされる。文明年間(1469〜87年)には太田道灌が社殿を造営したと伝えられる。その後江戸時代初期には、団子坂上に遷座していた。

現在の根津神社の地は、甲府藩邸があった。6代将軍徳川家宣の生誕の地でもある。5代将軍徳川綱吉は、家宣を後継者に定めると、旧甲府藩邸の地が献納され、宝永3年(1706年)現在の社殿が完成し、同年遷座した。

以来、根津神社門前には多数の遊郭が建つなど栄えたが、明治時代に入り、近隣の本郷に帝国大学(現在の東京大学)が設立されることを受け、門前の遊郭は洲崎へ移転させられた。

<社殿>

本殿・幣殿・拝殿が一つにまとめられた権現造の形式である。重要文化財に指定されている。

楼門。

拝殿。

つつじ苑。4月〜5月初旬につつじ祭りが開催される。

<近隣の風景>

以下、根津神社の近隣の風景をご紹介。

「根津神社入口」は不忍通り沿いにある。写真は根津神社へ至る通りとは反対側に伸びる「藍染大通り」である。

木造の根津教会。大正8年(1919年)に建てられた。

根津ふれあい会館。公民館的な施設だが、1階で近隣の郷土資料などを展示している。

<アクセス>

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