高輪大木戸跡

第一京浜沿い三田から品川駅に向かう途中、札の辻を過ぎて泉岳寺に行くまでの道路海岸側に、石垣が一部残されているのが見える。「高輪大木戸」は、当時の東海道沿いに、品川宿を過ぎて江戸に入る際の関所で、言わば江戸の「玄関口」であった。

文字通り、大木戸には木扉が設けられ、交通量の制限や治安の維持の目的で夜は木扉は閉じられたという。木扉の両側には石垣が築かれた。現在残っている石垣の一部はその痕跡である。

甲州街道の玄関である四谷大木戸などは全て取り壊され残されていないため、高輪大木戸跡は当時を偲ばせる貴重な痕跡ではないだろうか。

やや駅などからは離れているため、近隣を散歩しつつ訪ねるといいだろう。



 

おまけに、第一京浜沿いの近隣の風景を少しご紹介。

 

赤穂浪士の墓で有名な泉岳寺。都営地下鉄・泉岳寺駅より坂道を登るとすぐのところにある。

札の辻交差点より少し南に、元和キリシタン史跡がある。元和9年(1623年)に、この付近で50名が火刑、斬首刑に処せられたとのこと。

高輪大木戸跡、札の辻、いずれも、当時の「江戸の端っこ」であることを示す史跡と言えないだろうか。



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門前の小僧習わぬ経を読むシリーズ~浄土宗浄心寺

本来なら谷中の寺の事から書くのが、
この「門前の小僧習わぬ経を読む」シリーズにふさわしいのでしょうが、
前から気になっていたんですよ。
この仏像?
向丘2丁目の浄土宗浄心寺の前の建立仏。

私、仏像が好きで、趣味の切り絵で仏像彫ったりしています。
その切り絵はまさに一大芸術であり、我が家の秘仏ですので、
残念なことにお見せする事はできません。
しかしながら、宗教心はありません。
何故好きかと言うと答えようがありません。
あえて言うなら「様式美」にまつわる屁理屈が好きなのです。

そんな「様式美」を壊すこの仏像、とてもファニーです。
親しみやすさでは近年、類を見ない遭遇仏です。
材質はコンクリートでしょうか?いや、絶対コンクリート。
材質そのものがとても前衛的です。
全身はペンキ塗りですな。実に不安定な微妙な造形美です。
それはいわゆる「ゆらぎ」なのです。
この世は諸行無常ですから、このような「ゆらぎ」があって
当然と言えるのです。
仏が纏う衣は流線美があるものですが、このおっさん仏には
見当たりません。
「大体、こんな感じ」で作られたような感じです。
このいい加減さが実に素晴らしい。
何故なら、形の「いい加減さ」と造る「熱意」は別物だからです。
緻密に作られたものだけをありがたがってはいけません。
円空の仏像なんかほとんどいい加減に作ってるように見えます。

このありがたいファニーさは、
「大体、こんな感じ」と言う自由な制作意欲、
その辺りの尊い「お気楽さ」から醸し出しているのでしょう。
まさに自由闊達、なにものにも捕われておりません。
人はそれを「無我の境地」と言うのでしょう。
下から見上げるとより一層、親しみを覚えます。
ゴースタバスターズに出て来た「マシュマロマン」にも
どこか似ております。
表情を伺うところ、このおっさん仏まだ解脱はしていないようです。

「親しみ」と書きましたが、この場合「ご利益」があるかどうかは別です。
手を合わせたりはしませんし、またそんな人も見た事はありません。
浄心寺の看板がわりなのでしょう。
この仏、いや、おっさん仏は誰?
大黒天のような、恵比寿様に似てるような??
まあ、江戸ですから大黒天かと思われますが、
そこら当りもまた「大体こんな感じ」感が出ています。

浄心寺のホームページを見てもこのおっさん仏に関してはノーコメントです。
このおっさん仏の身元が知りたい。
がっ!「秘してこそ花」の言葉があるように、
「秘してこそ大体こんな感じ仏」と私は敬うのです。

浄心寺のご本尊は阿弥陀如来、右に十一面観世音菩薩、左に勢至菩薩。
浄土宗ではこの組み合わせが多く、スタンダードな組み合わせですが、
この門前のおっさん仏と違い、ご本尊はとてもゴージャスです。

浄土宗・浄心寺
東京都文京区向丘2丁目17-4

屋形船

屋形船に乗ってみました 何年ぶりでしょうか?
ネットで調べるといろいろなコースがあり 迷いましたが
地元の千住の「濱田屋」さんのスカイツリーコース4800円を選んでみた
乗船場所は勝ちどきから結構盛況ですねえ
男女 男同士 家族 おばあちゃんと孫 などなど
隅田川を眺めることはあるけれど 川の上からは滅多にないので 結構観光気分が味わえますハヤシライスやら串揚げやら いろいろ出てきましたが 美味しいじゃなの!!
ビールもハートランドがあったので迷わず注文 旨い!
このコースは飲み物持ち込み可だったので ウーロンハイも持参このコースはスカイツリーを回るコースでしたが スカイツリーは見飽きているものの
船上からのスカイツリーはまた格別
西の東京タワーに完全に勝った感が下町の私の心を鼓舞させます屋形船はいろいろな橋をくぐったものの橋の名前はあまり覚えていなのですが
隅田川に掛かる橋って結構重量感があってなかなかの構造物ですなあ
途中 隅田川で釣り船 ジェットスキー ボートなどなどに遭遇し
隅田川で遊んでる人って意外に多いんだなあ と実感屋形船って夜景を見に行くイメージがあったけど
昼間の屋形船も開放感があっていいねえ 景色も綺麗だし
後 老舗の店とか老舗の会社って 看板を隅田川からも見えるようにしているつーのを発見 粋だねえ
青空の広がる夏にもう一回乗りたいな~ 涼しそうだぞお
帰りに橋の上から濱田屋さんの屋形船をみると 従業員の姉さんが思いっきり手を振ってくれました!
なんか感激!やっぱり夏にもう一回乗りますよ

濱田屋
〒120-0022 東京都足立区柳原一丁目14番5号
TEL.03-3881-2314

蕎麦・寿司・天ぷらの次は「鰻」


蕎麦・寿司・天ぷらの話を書いたので 次はやはり「鰻」
鰻もここらへんは結構多いな〜
永井荷風は「幸せとは?」と聞かれ
散歩に行くときに財布に鰻と少々の酒を呑む銭があるのが幸せの基準だと言っていたらしい



気になるお店は数あれど 良く行くのは 千駄木の「山ぎし」
自分 鰻って何か進んで食べないんだよねえ 一年に3回くらいか?
だんだん体力も気力も無くなってくる歳なので1ヶ月に一回くらいは食したいものである

鰻は川魚だから 泥鰌もあれば当然 鯉もある
鯰も置いている店もある
今回は「鰻」を食べるのはもちろんの事 「鯉の洗い」が目当て
先日出張で長野のブランド鯉「佐久の鯉」を食べる予定が狂い出張に行けなかったので
頭の中は「鯉の洗い」で一杯なのです
新鮮で臭みのない「鯉の洗い」は醤油とわさびでいただける
ここの「鯉の洗い」もブラボーなお味 旨い!日本酒に合う!
さすが魚の中では「鯉」だけは別格で海魚より上と言われるだけある
昔は祝いの魚は「鯛」ではなく「鯉」だったと聞いたことがある
「鯉の洗い」が旨かったので次は「鯉の洗いのカルパッチョ」も注文!
満足でげす

「山ぎし」さんは飲み屋で使えるメニュー構成 値段もお安い
しかしなんと言っても美味しい!
小銭が貯まったらまた食べに行こう〜っと

鰻の山ぎし
東京都台東区谷中3丁目139
03-3827-5763
営業11時00分~14時00分, 17時00分~20時00分
定休日火曜日

谷中 松寿司

前にも書きましたが
死んだ爺さんが言っていた
「男は蕎麦屋と寿司屋の行き付けは持っておくもんだ」と

寿司屋へ夜に入るのはこの歳になってもびびりますねえ。
酒飲みなので居酒屋とか割烹料理屋、蕎麦屋には入るが
寿司屋では飲まないからねえ~
寿司屋=「高い」と思い込み
とは言っても蕎麦屋とか居酒屋で飲んでもそれなりの料金を払うのだから
これはひとえに貧乏育ちの偏見なのである。



もう一つ寿司屋になかなか通わないのは幼き頃
家の前に寿司屋がありそこは友達の家だった
遊びに行くと友達の爺さんがちらし寿司を食わせてくれた
とても家族的な雰囲気の寿司屋であった
故にそのような寿司屋が理想なのだが
なかなか見つからないで谷中最古の寿司屋「松寿司」
とうとう見つけたねえ いい寿司屋だねえ
店内は小綺麗で三代目と女将さんのお二人
相方と二人で刺身と握りを注文して冷酒で「キューッ」と飲る
幸せでございます 寿司屋のカウンターでこんな事が出来るなんて
大人になったのだ私は・・・と考え深くもう一杯
話が弾み 三代目から名刺をいただいた
名刺にはフードコーディネーター&料理研究家&寿司職人とあったが
江戸っ子で寿司屋の三代目なので
名刺にもう一つ「若旦那」と書き込んでもらいたいものだ
たぶんモテるぞ

松寿司
東京都台東区谷中3-2-7
03-3821-5087

男の行きつけ

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私の爺さんの遺言は
「男なら行きつけの寿司屋と蕎麦屋と天ぷら屋は決めとおけ」である
寿司屋は決まっている
蕎麦屋も決まっている
天ぷら屋が決まっていない
「画龍点睛を欠く」のである
大人の男としての嗜みでもある

が!しかし身近にあった!
それが西片の「天ぷら屋 まるやま」

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飲み友達で「丸じい(通称)」が居たじゃないか!
飲んでるときに仕事の話なんてみんな無粋な真似しないから
近所の飲んべえの認識でいたが
「天ぷら屋」のご主人だったのを思い出したのである
そう言えば谷中墓地で花見をしたときにこさえてきてくれたいなり寿司が妙に旨かった
一芸は百芸に通ずる・・・旨いに違いない 行ってみよう!

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月曜日に友人と行ってみた 旨い 幾らでも腹に入る
水曜日にお任せコースを二人分予約する ここでデート
木曜日に接待でまたおまかせコースを予約する ここで商談
先週は正に天ぷらウィーク

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突き出しはおぼろ豆腐、続いて鮪の刺身(これが寿司屋より旨い、寝かせてますな)
鱚、マゴチ、海老、穴子、谷中ショウガ・・・etc  幸せだねえ
これで寿司屋・蕎麦屋・天ぷら屋がそろい踏みして
私はここに「大人の男」として完成をみたのである

天扶良まるやま
〒113-0024 東京都文京区西片2丁目21−4
03-5684-5188
営業時間12:00~14:30/18:00~21:30
定休日日曜日

藪蕎麦


蕎麦屋でもとりわけ有名なのは藪御三家
特に神田藪蕎麦は江戸ソバリエの受講生が訪れる店のno1である
元々は千駄木の団子坂「蔦屋」が本家
蔦屋の3代目が相場で失敗して「仲砂」の4代目堀田七兵衛が蔦屋の神田連雀町の
支店を譲り受けたのが神田藪蕎麦のはじまり
その後 神田藪蕎麦から 並木藪蕎麦 池之端藪蕎麦 と続く
並木藪から 上野藪蕎麦 浜町藪蕎麦 などが出てくる
神田藪蕎麦が中心として「薮睦会」と言う暖簾会ができる



が!千駄木の団子坂「蔦屋」の直系は何も神田藪蕎麦だけではない
「蔦屋」から独立した店が他にも2件あったのです
一つは本駒込にある「藪蔦」
藪蕎麦と呼ばれた「蔦屋」から出たから「藪蔦」
分かりやすい!
もう一つは本郷にあるこれまた「藪蔦」
残念な事にここは今営業していません。


本駒込の「藪蔦」へ行ってみる
店の中は昭和時代の定食屋さんみたいだ
せいろをたぐってみると麺は何故か平打ち
汁は藪御三家ほどは塩からくない!比べるとどちらかと言えば甘い
しかし!!慎重に汁を利き酒のように味わうと
出汁はなんと藪御三家と同じ風味がする びっくり!
これは出汁の取り方はほぼ同じで「かえし」が違うのか
と言うことは「藪」の味は「かえし」以上に出汁の取り方に
特長があるのか 謎です

藪蔦 (やぶつた)
東京都文京区本駒込1-4-5
11:30~16:00、17:00~20:00
日曜営業

喜楽のタンメン

渋谷道玄坂にある、老舗のラーメン屋・喜楽。

1F、2F合せて20席余りの店には、いつも順番待ちの行列が出来る。

メニューの中で、おすすめの一品は、タンメンである。

油が控えめで塩味も強過ぎず、まさに良い塩梅。野菜が大切りなのも嬉しい。
一度、ご賞味あれ。

<営業時間、アクセス>

11:30〜20:30、定休日水曜

東京都 渋谷区 道玄坂 2-17-6

江戸城の話(その1)ー江戸城と東京の街

江戸城のお話を、筆者独自の視点から書いてまいります。

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現在の東京の街があるのは、江戸城のお陰だろう。

東京の前進である江戸は、江戸城を中心に発展してきた街である。江戸時代には政治の中心となり、幕藩体制のもと各地の大名の参勤交代により、江戸は100万人の人口を抱えていたとも言われる(ただし、諸説あり)。その江戸の街を継承して、さらに発展させたところに現在の東京の街がある。江戸城が、現在の東京の街を生み出した、と言えそうだ。

その江戸の街が戦火に巻き込まれそうになり、危機に瀕した時代が訪れた。戊辰戦争の時である。鳥羽伏見の戦いの後、前将軍・徳川慶喜は江戸に帰還し、新政府軍は江戸に進軍した。江戸の街を舞台に、新政府軍と旧幕府軍の大激突の展開もあり得た。だが、有名な「江戸城無血開城」により、江戸の街は戦火から救われた。(実際には上野戦争と呼ばれる戦火があり、上野の寛永寺一帯は炎上したが、それはまた別の機会に。)

「江戸城無血開城」が実現した要因として、旧幕府側要人の交渉努力、旧幕府側の戦意の低さ、外国からの干渉、などが言及されることがある。また当時も世界最大級だった大都市・江戸が新政府側が入手できるメリットもあったであろう。しかし、ここでは敢えて「江戸城の存在」を挙げたい。

江戸城というと今の皇居か、と思われるかもしれない。実際には、江戸城は現在の皇居を中心としつつ、もっと広い。神田川は江戸城の北側の外堀をなしている。西の飯田橋、市ヶ谷、四ツ谷、赤坂にも外堀の遺構が確認できる。これらはすべて江戸城を守る堀の痕跡である。現在の「外堀通り」をぐるっと一周とイメージすればが大きくは違わない。江戸城の外郭の総延長は約14キロメートルに及び、秀吉当時の大坂城の総構の外周は約7.8キロメートルである。江戸城の外郭を含めた面積は約2,082ヘクタールに及び、同大阪城は約452ヘクタールであるため、その広さが再認識できる。

江戸城は当時、日本最大の城郭であった。江戸時代の城郭が幕末から明治初期の大砲等の兵器を前にしても一定の有効性を保っていたことは、西南戦争の攻防戦の際、熊本城が薩軍の包囲に耐え抜いたことでも実証されている。

江戸城の強みは巨大な外郭だけではない。東にある隅田川が外郭の一部をなしており、また道三堀から日本橋川に通じるルートがあり、海からの補給路が確保しやすい。北関東や東北からの海路からの補給が続けば相当期間の包囲に耐えられることが想像できる。

また江戸城の防御は、現在の町並みからも想像できる。東京の道路は碁盤の目ではなく、入り組んでいたり曲がっていたりするので、初めての者にはやや分かりにくい。外敵の侵入を防ぐ工夫の痕跡である。

戊辰戦争当時の新政府軍側も、交渉の中で無血開城の妥結点を探る過程で、上記の江戸城の防衛力を充分に計算に入れ、総攻撃時の人的・物的な被害を天秤に乗せた上で判断に及んだのではないだろうか。

結局、江戸城で攻城戦が行われることはなかった。しかし、現在の東京の街の基礎を生み出し、そして戊辰戦争の戦火から守った。江戸城にはそんな横顔がありそうだ。

東京国立博物館

東京国立博物館について、筆者独自の楽しみ方をまとめてみました。

<総合文化展を鑑賞する>

まずは「総合文化展の鑑賞」を挙げたい。総合文化展とは、従来「平常展」と呼称されていたものが2011年より改称されたものである。年間を通して、東京国立博物館の収蔵品及び寄託品のうち、一部が展示されている。原則、毎週月曜日の休館日を利用して、展示品の入れ替えが行われるため、1~2ヶ月に1回のペースで訪れると、また違った展示品に触れ、楽しむことが出来る。

土日でも概ね人は少なく、ゆったりと鑑賞できる。なまじ評判となって人だかりとなった特別展よりも、落ち着いた鑑賞を楽しむことができる。

なお、日本マンガの草分け的存在である京都・高山寺の「鳥獣戯画」なども、現在はこちらに寄託されている。数年に一回、「国宝の間」にて展示される。

<建物を鑑賞する>

多数の国宝、重要文化財が所蔵されている一方で、建物も相当なものである。

本館は昭和13年(1938年)開館。鉄筋コンクリート造ながら和風の瓦葺きである和洋折衷である。中央玄関から2階への階段のショットは「半沢直樹」など、多くのドラマ等で利用されているの。平成13年(2001年)に重要文化財に指定されている。(階段のショットは、人が大勢のためよい写真が取れていないため、後日追加予定)

上記は「表慶館」。大正天皇のご成婚を祝して明治41年(1908年)に完成。現在の東京国立博物館内の建物のうち、もっとも古い建物である。

2015年の特別展の際には建物内部に入ることが出来た。雰囲気のある木造の内装は健在であった。

<庭園を眺める>

写真は、本館1Fのバルコニーから眺めた庭園の様子である。写真中央部には茶室が見える。江戸時代初期の大名茶人・小堀遠州由来の「転合庵(てんごうあん)」である。

東京国立博物館には庭園内に茶室が5つある。いずれも寄付等によって移設されたものである。事前に予約すれば茶室の利用が出来る。特に紅葉のシーズンには混雑するとか。

<あわせて、周辺を散歩する>

東京国立博物館の周辺には、散策にぴったりの施設や風情が満載である。上野恩賜公園内には、上野東照宮、上野動物園を始め、国立西洋美術館、国立科学博物館などの施設も充実。隣には東京藝術大学や寛永寺があり、足を伸ばして都立上野高校や上野桜木を過ぎると、谷根千(谷中・根津・千駄木)もすぐそこである。

<アクセス>