野田のしょうゆ工場

しょうゆ、さらに限定すると、現在の醤油生産量の8割を占める「こいくちしょうゆ」は、江戸と、江戸周辺に集積される物資から誕生した。江戸時代後期に至って、「こいくちしょうゆ」は、江戸の食生活の中で基本的な調味料となり、寿司、天ぷら、そば、うなぎなど、代表的とされる日本料理を確立させた。

日本のしょうゆ生産の4割近くは千葉県で行われている。千葉県の有名なしょうゆ生産拠点は、野田と銚子である。両者に共通するのは、「物流の要衝」であることである。

キッコーマン野田工場は、千葉県内の東武鉄道・東武アーバンパークライン(以前の東武野田線)野田市駅より徒歩3分のところにある。

駅を降りると、至近距離にある、しょうゆ工場から、炊いた大豆の香りが漂う。工場に入ると、工場特有のオイル臭が大豆の香りに混じり合う。

しょうゆは、極めてシンプルな原材料から生産される。大豆、小麦、塩の基本的な原材料に対して、種麹(たねこうじ)を入れて発酵させる。職人の手によって作られていた江戸時代から、オートメーション化され大規模生産されるようになった現在に至るまで、基本的な生産工程は変わらない。

おおまかな生産工程は以下の通りである。

①蒸した大豆と、炒って細かく砕いた小麦に、種麹を混入し、温度と湿度を調整された製麹室(せいきくしつ)で3日間かけ「しょうゆ麹」を作る。「こいくちしょうゆ」は、大豆と小麦は1:1の割合で配合される。


②「しょうゆ麹」と食塩水を混ぜ「もろみ」を作り、もろみを仕込タンクで数ヶ月間発酵、熟成させる。
③熟成させたもろみを布にくるんで、圧力をかけることで、「生しょうゆ」を濾過する。
④「生しょうゆ」を3〜4日間かけて不純物を分離した後、火入れを行い、酵素の働きを止める。



野田の地のしょうゆ生産が発展したのは、江戸時代の水運である。江戸時代、野田には河岸と呼ばれる商業集落が作られていた。いわゆる利根川東遷工事の中で、現在の利根川及び江戸川の原型が整備される中で、これら河川は太平洋岸から江戸に至る水運を担うことになった。また河岸各地や街道で繋がる各地の年貢米や特産品などの物資を集積、流通させる拠点として河岸が成立したのである。

野田の地は、しょうゆの原材料である、大豆、小麦、塩を集積させる立地に恵まれていた。大豆は常陸から、小麦は下総から、塩は行徳から、それぞれ集められた。生産量が増えるにつれ、これら以外の各地からも集積されていく。同時に、大消費地である江戸へのアクセスにも恵まれていた。やがて、野田のしょうゆは、ブランドとして確立されていく。

しょうゆは、江戸の街を成立させた基盤である、物資の流通と集積のシステムが生み出した調味料と言える。そして、しょうゆは江戸のみならず、日本の料理の確立に大きく寄与をしていった。我々が毎日食べている食事も、間違いなく、江戸の先人たちの行動、なりわいの上に成り立っていることを感じさせてくれるのである。